自己組織化(Self-Organizing System)とはシステム(組織)全体の変化の要因を、そのシステム内のエージェント(メンバー)の個々の振る舞いに着目するものである。 今田教授は組織が変わるのは、全体が先か、個人が先かとの問いに、「個人が先」と言い切る。
さらに今田教授は、組織が外圧によって変わるのは第二級の適応に過ぎない、組織の内なる力で変わるのが第一級の適応だ、と言う。 つまり、前者は受動的な環境適応であるのに対して、後者は自らの意思で能動的に変化する自己適応であるとのこと。
人間の場合は変化する方向も自ら決めなければならないとし、自己決定に基づく自己適応能力が、本当の意味での変化だと、氏は言う。
組織は環境に適応して変化もするが、変化する力の源泉が内部に存在することをより自覚すべきで、そのような意味から自己組織化という言葉を使っているのだそうだ。
「このようなメカニズムが働かない企業では自己組織化ができない。 外圧ではなく、自己変革できる企業のみが生き残れる。 真の自己組織化とは、自分のなかに変化の兆しを読み取り、これを契機に新しい構造や秩序を立ち上げること。」だと、氏は語る。
続けて、今田教授は、自己組織化の基本的性質として、自己言及性とゆらぎを挙げる。
自己言及性とは、発言について言及する、考えたことについて考えるといった、人間固有のコミュニケーション能力を指しているのだと言う。 つまり、言及性とは他者とのコミュニケーションの繰り返し。 自分の行為が自分に跳ね返ってくることの連続だということ。 氏は社会的な自己言及的メカニズムのもたらす効果として、「意図せざる結果」を挙げ、人間の文化も結局、この「意図せざる結果」によって、発達してきた部分が大きいと語る。
今田教授は、自己言及性のメカニズムを理解していない人がことのほか多いと言う。 つまり、氏は、「自社の業績が悪くなると、経営者が悪い、管理者が悪いとすぐ他人のせいにする人、組織の一員にも関わらず、傍観者のごとくシステムの外の人間を装おうとする人が少なくない。」と語る。 さらに、氏は、「その人たちは組織の一員としての自分の行動が組織全体に影響を及ぼしていることを理解していない。 その人たちの組織への働きかけが跳ね返ってきたことでもあるという見方ができていない。」とも言う。
このように、組織内の自己言及性を機能させていない原因は一体どこにあるのだろうか。 個人的には、このような自己言及性のメカニズムの存在にはうすうす気付きつつも、それを基に、振舞おうとしない人がことのほか多い、また増えているように感じるのである。 つまり、私は、昨今、企業が新しく組み直した、組織構造やマネジメントの仕組みが、今田教授の言う、いわゆる「理解していない人」を、結果的に、多く生み出しうる土壌を築くのに資していないだろうかとも、考えてみるのである。 この問題については別の機会にあらためて考えてみたいと思う。
もう一つの基本的性質として、「ゆらぎ」がある。
氏は、ゆらぎを、システムそれ自体の構造に起因して起こるものだと言う。 自然科学の世界では、ゆらぎとは、マクロ的に見たシステムにおいて、その平均的な振る舞いからの乖離として説明されるのだそうだ。 これを社会現象に応用すると、既存の枠組みや制度には収まり切らない、あるいは既存の発想では処理できない現象として考えることができると言う。
ゆらぎとは、一つの微粒子を元にして新しい秩序の可能性を探る、一種の情報だと氏は語る。
自己組織化を促す四つの条件
- 創造的な「個」の営みを優先する。
- ゆらぎを秩序の源泉と見なす。
- 不均衡ないし混沌を排除しない。
- コントロールセンターを認めない。
「創造的な「個」の営みを優先する。」とは、役割をあいまいにすることではないと言う。 役割はきちんと与え、その解釈を柔軟に問い直させるのだそうだ。 つまり、与えられた役割から組織に働きかけ、そこから組織が自己言及的にその人の役割にフィードバック作用を及ぼす。 この繰り返しから自分の役割を問い直すのだと言う。
つまり、ここでのリーダーの仕事は、メンバーが所与の役割を遂行することを監視するのではなく、それぞれの役割からの新たな意味の問い直しを支援することになるのだと言う。
これは「ダイバーシティ人材とは その①」で紹介している、中部大学キャリアセンターの市原さんのお話がそのまま当てはまってくる。 彼は自分のミッションや仕事の意味を学生の立場に立って、しきりに問い直す。 学生にとって就職とはどうあるべきかを。 その方向が親や大学サイドが求めるものと乖離する事態に陥ろうとも、彼は学生にだけ目を向け、答えを探ろうとする。
大事なことは、ここで中部大学は、彼を役割から外れたと、ストップをかけなかったということ(実際のところはわからないが)。 良い解釈をすると、このような大学サイド(もしくは、市原さんの上司に当たる方)の対応は、市原さんのある意味、「ゆらぎ」にあたる行為が組織全体にどのような創発をもたらすのか、じっくり観察しているようにも見て取れる。 つまり、この方向性が、少子化時代の新しい生き残りの道、また差別化要素になるという結論に至れば、積極的に支援をしていく可能性もあるということを意味しているのである。
「ゆらぎを秩序の源泉と見なす。」では、ゆらぎが系統的なゆらぎなのか、単なるランダムのものなのかの見極めが重要になってくる。 つまり、そのゆらぎの意味を自己言及的に考え、逸脱行動の中にも、社会の多様性の源泉としての創造的逸脱を見極めることが、組織のリーダーには求められる。
「不均衡ないし混沌を排除しない。」では、カオス(混沌)の重要性の認識が挙げられている。 カオスの重要性とは、わずかな誤差を無視すると、大きなしっぺ返しを被るということ。 以前は組織や社会というマクロな視点から俯瞰する際、小さな不均衡は無視しても大勢に影響はないと考えられてきたが、ほんの僅かな初期値の違いが、大規模な変化を招くことが理解されるようになってきた。 リーダーとして、あらゆる些細なことに留意するわけにはいかないが、このカオス理論の意味するところを理解する必要はあるだろう。
「コントロールセンターを認めない。」 つまり、自己組織化にとって最も重要なこと、それは管理をしないことだそうだ。 リーダーの役目は、一人ひとりの活動から全体にシナジーをもたらす風土を醸成することだと言う。
おわりに
私がこれから、Democratic Learning Organization を具体的に考えていく上で、この今田教授の自己組織化(Self-Organizing System)理論は多くの示唆を与えてくれている。 この理論は、私のもう一つのコンセプト組織、Individual-centered Cooperative Organizationの、特にIndividual-centeredの部分にも関わってくるものなので、いずれここでもう一度取り上げたいと考えている。
いずれにせよ、この「自己組織化」という問題は、ダイバーシティ時代、ダイバーシティな組織(私は通常、multicultural organizationと呼ぶ)にとって、欠かすことのできない理論および方向性であることは確認できた。
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