2007年12月26日水曜日

真のダイバーシティ人材とは その①

世の中には本当に素晴らしい仕事をしている人がいるものだ。 自分もこんな風になりたい、こんな風に仕事をしていきたい。 これが私の読後の率直な感想である。 

「大丈夫。おまえを必要としてくれる会社は、いくらでもある」
「中部大学キャリアセンター・市原幸造」の巻http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20071120/141162/?P=1

このコラムを書いた双里さんの言葉を借りれば、「なぜ彼らはそこまで熱意を注ぐのか。 計算や効率からは到底理解できない「働き者」たち。 お金、名声、自己満足以外にも、働く理由があることが、彼らの言葉から見えてくる。」のである。

私はこのような人たちに直接・間接的に出会いながら、いつも共通して感じることがある。 それは、彼らはいつも「内向き」ではなく、外を向いて生きていたり、仕事をしているということだ。 主人公の市原さんが現在置かれている環境のように、組織の経済論理と自分の信念が必ずしも一致しない時がある。 しかし、彼は学生の立場に立って、論理構成をすることを少しもあきらめないし、それを自分のミッションだと言い切る。 それに反すると考えれば彼は周囲や組織に対して、「ノー」をつき付けることも厭わない覚悟でいる。 

(ここからは私の想像の域だか、) 彼は自分の考え、主張を通すために、質・量ともに自分の仕事について、また自分の真のミッション(上から押し付けられたミッションではなく、現場で自分の五感を通して掴み取った生きたミッションの意味)について、とことん考え抜いていることがうかがえる。 それは彼の発する言葉から、また彼の仕事への取り組み姿勢からもうかがい知ることができる。 彼は、ほとんどの学生たちは自分のことを必要になる3年生の時に初めて知るようになるけれども、自分は入学した1年生の時から彼らを見続けているのだと話す。 彼は学生の心の中にあるものを見ようと努力をし続けているのである。 

彼は職場(大学)の中で決して浮いた存在というわけではなく、逆に経験に裏打ちされた己の哲学を持つ、貴重な「ダイバーシティ人材」として、余人を持って変えがたい存在になっているのではないだろうか。   
また、組織の観点から見ても、この市原さんがもたらす一種の「ゆらぎ」を大学サイドがある程度認め、許容しているからこそ可能であるという点も見逃してはならないと考える。

(本文)
多くの学生が限られた数の椅子に向かって殺到する。それを煽るように就職ビジネスが学生の背中を無理矢理に押す。履歴書対策、面接で好印象を与える方法、エントリシートの書き方、筆記試験の攻略法、自己分析、グループディスカッション、立ち振る舞い、スーツの着こなし……洪水のように流れてくる情報の中を、遅れを取らないよう必死になって前へと進む学生たち。理解するのではなく、まずは情報を頭に叩き込む。受験勉強の時と同じ光景。そこに生まれるのは、同じ顔、同じ考え方、同じ言葉を話す学生たちの姿だ。

(中略)

採用側である企業もまた「同じ顔」「同じ言葉」で学生たちにこう問いかける。「あなたは社会に出て何がしたいのか」「10年後、20年後にどうなっていたいか」「自分に何ができると思うか」……。すべての学生に会うことは不可能だし効率が悪い。まずは、採用の窓口をパソコンの中で行い、そこで人数をふるいに掛ける。“上手に質問に答えられたもの”だけが椅子取りゲームの先へと進むことができる。

(中略)

「10年後のことは、今はよくわかりません」と正直に答えてしまったら、間違いなくエントリー段階で落とされるだろう。その学生の人柄や能力に関係なく。就職ビジネスに背中を押され、企業からの問いかけに必死に答えようとする学生たち。器用に対応できる者だけが採用されていく。これが今の就職活動の現実なのかもしれない。大切な「何か」が片隅に追いやられている。

(中略)

大学もまたビジネスとは切っても切り離せない立場にいる。少子化が進む中、生き残りをかけて生徒を集めなければならない。生徒募集の切り札が「就職実績」だ。あの大学に行けば大手企業に就職できる。就職に困ることはない。これが最大の売りとなる。市原にも各学部から依頼が届く。「学生を何とか大手企業に就職させてほしい」。その思いは痛いほどわかる。自分自身も葛藤している。でも、市原はこう答えることにしている。
 
「そんなことはしません」。
 
少なくとも、自分は学生の本心や本音を受け止めてあげることができる「1人の大人」でいたい。

(中略)

社会人生活の第一歩なのに、記念すべきスタートなのに、学生たちが自分の思いを、偽り、曲げ、時には殺してしまう就職活動とは何なのだろう。
 自分のミッションは大手企業に就職させることではない。「全員を社会のスタート地点に立たせること」だと、市原は考えている。その学生が望む企業に就職できなくても、たかが就職くらいで人生をあきらめることなく、自分らしく人生を歩むことのほうが大切だ。

(中略)

もっと自分に正直に仕事さがしをすればいい。正直な自分を採用してくれない会社なんて、入社したところでどうせ苦労するだけだ。「入社させてください」なんて頭を下げるな。企業規模なんて関係ない。「キミがほしい」と求めてくれる会社に行くほうが、きっと何倍も幸せに働ける。


市原が今、大切にしている言葉。それは「大丈夫」のひとことだ。「ぼくの“大丈夫”には根拠はないんですけどね」と笑う市原だが、それは学生たちが一番求めている言葉なのかもしれない。             

(中略)                                                            

「就職活動があるから、部活を途中で辞めようと思うんです」。市原は言った。「辞めるな。野球がしたいのなら、思い切りすればいい。大丈夫!就職は何とかしてやる。」

(中略)

何回か転職して、ようやくやりがいのある仕事を見つけたと報告する学生がいる。ほら、大丈夫だ。就職活動はたったひとつの通過点にしか過ぎない。かつての自分がそうだったように、彼らは自分自身でしっかりと人生に折り合いをつけて生きている。人生を歩いている。その姿こそがもっとも尊い。何よりも嬉しい。

感想

ちょうど10年前、私も大学の就職課を訪ねて、就職活動に伴う不安を打ち明けたことを思い出す。 大学にはサッカーをやるために入ったので、勉強で誇れるものは特になく。 また、日本国籍をもたない私にとっては、当時まだ多く存在した国籍差別の状況はダブルパンチであった。 そんな中、大学の就職課の人を訪ねてみた。 “ナカさん”といっただろうか。 学生の間ではそう呼ばれて親しまれていたような気がする。 彼は自分の話を聞いて、「心配するな、俺に任せろ! 会社はいくらでもあるから。 お前だったら大丈夫!」と言ってくれた。 多分、会う学生みんなにこう言っていたのかもしれない。^^ でもこの言葉がどんなに心強く、当時の私を支えてくれたか分からない。 

10年経っても相手の心に生き続ける言葉をかけられること。 これが「人」に携わる仕事に就く者たちが目指すべき最大にして最高の能力なのかもしれない。 これは決してテクニックなどでは補い切れない代物。 その境遇に自分の身を置いて初めて知ることのできる不安の重さ、歯がゆさ、どうしようもなさ、こういったものがどうしても必要になってくると感じるのである。  

「エリート人事」は、ダイバーシティ時代の人事には向いていない。 これは私の個人的仮説である。 なぜなら彼らは、就職で自分の能力以外のことで苦労した経験も、額に汗して営業した経験も、お客様には高い評価をもらいながら、「内向き」上司の気まぐれで失業した経験も、派遣社員として働いた経験もおそらくないであろうからだ。 つまり、彼らはこうした人たちを表層的な属性で捉え、上っ面の「ダイバーシティ・マネジメント」で、要領良く処理することはできても、彼らの心の奥底にある気持ちを理解しようとする力や動機は相対的に弱いと言えるかもしれない。 つまり、彼らをモチベートする言葉を持ち合わせていない可能性が高いのである。 

今度、ダイバーシティ・マネジャーの仕事や、求められる能力について書いてみたいと思う。

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